赤音の話(誰かがメモで描いてくれればいいと思う←丸投げ)

17歳になって、あの日々を思い出す。ただ思い出す。


数々の照明は数え切れない。
照明はまるで拍手を送るように私を照らし、
私はその拍手に応えるように観客席中に微笑む。
満足。幸せ。
でも何か足りない。何か足りないというか、この、脆さ。
それを7歳の手に、感じていた。
7歳の自分の小さな掌に、脆さ、喪失感、そして幸せ。
その3つの矛盾をする感情を、私は掌に感じていた。


私の名前は川上赤音。7歳で小1。
小1・・・って言ったけど、あんまり学校には行ってない。
何でかというと、ピアノを練習しているから。
私は練習なんかしたくないんだけど。
お母さんを、この家を、助けるためだから。


昔、この家には、父という名の疫病神の男が居た。
その疫病神は、借金と自分の愛人を、この家に招きいれた。
おかげでお母さんは壊れてしまった。


疫病神に裏切られたショック。
疫病神の代わりに返す借金。
その2つが、お母さんの体にのしかかった。
疫病神はお母さんの体に2つの重い苦しみを残して、
愛人とどこかに行ってしまった。
ありがちな話だったけれど、とても悲しかった。


当時5歳の私の、2つの目に入ったのは、ピアノだった。
ピアノといっても古いオルガンだ。ピアノじゃない。
2歳のころ少しやってて、まだ取ってあるのだ。
馬鹿馬鹿しい考えではあるけど、これしかなかった。


疫病神がどこかに行ったからか、神様が私に味方してくれた。
捨てる神あれば、拾う神ありとかいう、アレなのかな。


お母さんの知り合いがやっていたコンサートに出て、
そしたら・・・まあよくわかんないけど(いろながめんどいだけ)、
気がつけば出るコンサートはどんどん規模の大きいコンサートになっていた。


そして最近はテレビの人とかも来て。
雑誌には神童と書かれていた。
お母さんが誇らしそうに微笑んでいた。
よく分かんなかったけど、とても嬉しかった。
お母さんの笑みを、久しぶりに見れたから。


でも、5年後。私は12歳になり、もうすぐ中学生だった。
ピアノはもう出来なかった。
神童と呼ばれるには、もう年をとりすぎたのだ。
12歳の私が少しピアノを弾けても、もう世間は私を見ない。


だからといって中学校に行けるのだろうか。
小学校6年間ろくに学校に行かなかったから、勉強なんてちんぷんかんぷんなのに。


ため息が出た。
でも、有名じゃなくても、お母さんは私を責めたりしなかった。


「赤音は、赤音だから。
有名じゃなくても有名でも、赤音は赤音じゃない。
私の大切な娘ってことに、変わりはないからね」


お母さんの言葉一つ一つが、私の胸に沁みこんで、
生きていてよかったなぁと思った。
この人の娘でよかったと思った。



だけど。お母さんは、そんな人ではなかった。
渋々行っていた中学から帰ると、お母さんが友人に愚痴っていた。


「ほんとに、役立たずな娘。
まだ12歳のくせに、もう使い物にならないの」


心は割れた。壊れた。心の壊れた音がした。
その音は、17歳の今でも耳に染み付いている。


私は家を出た。どこに行けばいいのか分からないけれど、
もうあんな家にはいられないんだ。


お父さんを疫病神なんて呼びたくはなかった。
でもお父さんは壊れちゃって。酷い人になっちゃった。
お母さんも壊れちゃった。怖い人になっちゃった。


もうどうしようもない。怖い。
私の周りの人は、みんな壊れている。
もしかしたら、私が壊したのかもしれない。怖い。
だからもう、ココにいたくはないんだ。


ついっと転んだ。でも、滑ったわけじゃない。
誰かに足首をつかまれたのだ。
恐る恐る後ろを振り返ると、ニヤニヤと蛇のような嫌な笑みをした男たちと、一人、金髪のガラの悪そうな女が居た。
最悪な奴等に捕まってしまった。
朦朧とする頭でそれだけを思った。




つづくよーの